きっと何者 かに なれる蟹ですごきげんよう!

大好きなアニメ『輪るピングドラム』の10周年記念作品、劇場版ピンドラ『RE:cycle of the PENGUINDRUM』を鑑賞させて頂きました!


以下ネタネタバレバレ感想文的なものでございます!


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ワンクッションにセンチュリーシネマさんの展示のお写真。

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私はTV版5話で冠ちゃんこと高倉冠葉に心掴まれてからずっと、ピンドラのキャラクターの中で1番冠ちゃんが好きです。

それも相まってか、劇場版前編の終盤に新しく追加された冠ちゃんのシーンはものすごい衝撃でした。

陽毬を救う為にトラックに引き摺られたり、ワイヤーで手をボロボロにされたり、おそろしい悪事にも手を染めたり、文字通り自分の命を差し出そうとしたり、冠ちゃんの陽毬への思いの強さはTV版でも十分伝わって解っていたつもりでした。

でも改めて言葉で音楽で映像で、もっとわかりやすくストレートに突きつけられた感じが致しました。

コメダのシロノワールって「温かいデニュシュに冷たいソフトクリームを乗っけてさらにメイプルシロップをかける」という説明だけでもう美味しいのわかるじゃないですか。でも実際食べたら「美味しっ!!!」ってなるじゃないですか。あれです。



個人的にTV版より冠ちゃんの恋心が強調されているように感じました。

幼き日の潮干狩りの回想で、陽毬が晶ちゃんの事を「王子様」と呼んでいるシーンが新しく挿入されていたのですが、『少年よ我に帰れ』の歌詞「誰でもいいけど私だけが 唯一のナイトでありますように」が思い浮かびました。

ずっと「ケダモノ」とか「ナイト」って冠ちゃんっぽいな〜と漠然と思っておりましたが、「誰でもいいけど」がよくわからなくて。

でも「王子様は晶ちゃんでも(誰でも)いいけどナイトの座は渡さん陽毬を守るのは救うのはこの俺だ」という事だったのではとなりました。



それと同時に、本当は冠ちゃんが陽毬の王子様になりたかったんだよねとも思いました。

冠ちゃんの「どうして俺じゃダメなんだ」はずっと「陽毬を助けられるのは」だと思っておりました。でも「陽毬の王子様は」という意味でもあったんだね。泣いちゃう。



陽毬の短いカットが流れるシーンの時に、晶ちゃんと陽毬ツーショットのカットが追加されていたのは嫉妬の強調ですよね。

病室で晶ちゃんに銃を突きつけて抱きしめて「ずっとお前をこうしてやりたかったんだ」からのバーン!のシーンは愛憎だよね、でも他にももっと何か意味があるのかなとずっと思っておりましたが、これだけでもう十分となってしまいました。再構築の力すごい。



この情景はTV版23話(劇場版後編終盤)の、病室で晶ちゃんがうたた寝して見た夢のシーンと対になっていますよね。

晶ちゃんと陽毬は会話をして、横に並んだり向き合ったりしているのに、冠ちゃんは切なげに眺めて心の中で語ってひとりで完結しているんですよ。そういうとこだぞ冠ちゃん!でも好き!

陽毬が晶ちゃんに「冠ちゃん、世界にひとりぼっちだと泣いてるから」と言っていた意味が、この新録パートでより解りやすくより切なくなっているんですね。



前編の終盤と後編の終盤でこの対比させるシーンを持ってくる、その構成の美しさみたいなのも好きです。

劇場版はぎゅっとなっている分、そういう対比させるシーンが解りやすいのも助かりますね。記憶力理解力よわよわ蟹なので…

そしてそこで流れる『DEAR FUTURE』の破壊力。インタビューか何かで幾原監督が「狙った」と仰っていたのですが、狙ってもこんなすごい事出来るものなの?と宇宙蟹になりました。


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これは希望的な妄想的なものなのですが、劇場版ピンドラは「10年前の冠ちゃんと晶ちゃんを救済する物語」でもあるのかなと思いました。

彼らの始まりである10年前の箱の中の出来事は、個人的にメタファー的なものだと解釈しております。頑丈そうな檻のような箱も、空腹も、冠ちゃんが晶ちゃんに林檎を分け与えるあの出来事も、あのような事はあったけどそれがそのまま描写されている訳ではないと。余談ですがこどもブロイラーもそうだと思っております。



高倉の両親はカルト組織の幹部で、演説していた内容やこどもブロイラーへの言及からも世の中を変えようという強い意志を感じられます。

時系列は箱の中の出来事の後だと思いますが、陽毬と出会った日の回想の電光掲示板で「僕はひとりぼっちだった」と流れてきます。

作中では冠ちゃんと陽毬が、高倉の両親に硝子と鏡から守って貰ったエピソードがあります。でも血の繋がりのある晶ちゃんにはそういうエピソードが出てきません。

高倉の両親は組織の活動にかまけて晶ちゃんにあまり構っていなかったのではないでしょうか。



夏目の父(冠ちゃんの実の親)も組織の一員なので、冠ちゃんも晶ちゃんと似たような状態だったのではないでしょうか。

これも箱の中の出来事の後だと思いますが、夏目の父は「真砂子とマリオは私のそばにおく」と言ったとき、冠ちゃんの名前は出さなかったです。

更には冠ちゃんに「お前を選ぶんじゃなかった」と言いやがりました。許せぬ。



晶ちゃんは箱の中で「どうして僕は、こんな所にいるんだ」と言っていましたね。

構ってほしいのにさみしいのに見てもらえなかったり蔑ろにされた時、つまり愛情不足の時「ここにいていいのかな」だとか「どうしてここにいるんだろう」だとか、寧ろ「自分はちゃんとここにいるのかな」などと己の存在すら危うくなってしまいませんか。

バンド・チャットモンチーの『Last Love Letter』の歌詞「涙は 他人に見られて 初めてカタチになるの」「あなたは ひとに愛されて 初めてあなたになるの」の逆的な。



そんな愛情不足の状態、つまり愛の飢えで空腹のふたりは林檎を分け合って、こどもたちだけで生き延びました。すごいですね。

すごい事なんですけど、果たして良い事なのでしょうか。



前置きが長くなってしまったのですが、劇場版の成長した桃果は本来なら親がやるべきだった事をやってくれたように思えるんです。



そらの孔分室へふたりを呼んで、

「おたんちんの低脳無能兄弟」と優しく(?)叱って、

なすべき事を見つけなさいと導いて、

眞悧先生の所為で桃の中に入ってしまったからというのもあるかもですが結果的に本人たちに探させて思い出させて考えさせて決めさせて、

故障中のエレベーターの天井で引っかかって困っている時は「イマージーン!」と手助けをするけど、

お人形をさんちゃんことペンギン3号に投げ渡してお兄ちゃんだと宣言する大事なところはふたりだけでやらせてあげるんです。



なんかすごく良い大人・お姉さんではないですか…!?

桃果が成長した姿で出てきた意味ってもしかしてこれなのではと思ってしまう程でした。

こどもだけで為し遂げる事に意味あることもあるけど、大人が見守ったり手助けをしたりする事に意味があることもあると思うんですきっと。



そう考えたら、なんかもうお人形を投げ渡す時の「僕たち」「俺たちは」「「陽毬のお兄ちゃんだー!!」」というのが「見ててね!僕たちお兄ちゃんだよ!」という感じに見えちゃって。今書きながらも思い出しただけでうるうるきちゃって。

構ってもらえなくて甘えられなくて認めてもらえなくて淋しくて孤独感で心が死んでしまいそうになっていたあの頃の冠ちゃんと晶ちゃんを、成長した桃果お姉ちゃんに優しく見てもらう事で存在証明出来たのではないかしらと。



お兄ちゃんだと思い出して陽毬にぬいぐるみを届ける事だけが存在証明ではなくて、その一連の出来事を桃果という大人と観客の我々が、愛情不足で存在が危うくなっていたこどもの冠ちゃん晶ちゃんを見守って、存在を承認して存在の証人になることも存在証明だったのではないかしらと。



子供の頃ほしかったものを思う存分大人買いするとかあるじゃないですか。大人になって大人買いをして満たされるのは「子供の頃の自分」ではなくて「欲求が満たされなかったこども時代を過去に持つ大人の自分」だと思うんです。でも現実は時間を巻き戻す事は出来ないですもんね。

でも輪るピングドラムは創作物なのでそういう事も出来ちゃう!

運命の乗り換えで陽毬や苹果ちゃんを救う事で救われたのは16歳の冠ちゃん晶ちゃんで、劇場版で存在証明をして救われたのは10年前の箱の中の冠ちゃん晶ちゃんかしらと。

なので劇場版ピンドラは「10年前の冠ちゃんと晶ちゃんを救済する物語」でもあるのかなと思いました。





劇場版ピンドラに出てくるあの三角と丸のやつあるじゃないですか。あれは銀河鉄道の夜に出てくる『三角標』の事だと思うのでそう呼びますね。

私の記憶が正しければ前編でプリンチュが本を運んで来た時に一瞬三角標のカットが入っているんです。真っ黒背景に上に3つと下に1つ。直感的に「冠ちゃん晶ちゃん陽毬と苹果ちゃんだ!」と思いました。



冠ちゃんと晶ちゃんが本の中に入った時三角標になっていましたね。

三角標の丸は眞悧先生(ピングフォースシール)が出てきた時赤くなって、プリンチュに取り憑いた眞悧先生に世界を壊そうとけしかけられた冠ちゃんと晶ちゃんも赤くなっていました。

眞悧先生が現れて赤くなるといえば鷲塚先生の診察室にあった丸いオブジェの4つの丸ですね。あの丸は冠ちゃん・晶ちゃん・陽毬・苹果ちゃんなのではと、インターネットの海のどこかで考察を読んだ記憶があります。

なので三角標の丸は運命のこども達を表しているのだと思います。考察へたへた蟹なので話半分できいてください。



でも三角標って4つ以上出てきますよね。

後編で三角標がフォンフォンと回転して増えていくカットがあったのですが、その時は確か16個くらい出てきた気がします。冠ちゃん・晶ちゃん・陽毬・苹果ちゃん・真砂子・ゆりさん・多蕗先生かなと思って数えたけど違ったので、少なくとも7つ以上は出てきていました。

そもそも前編で最初に冠ちゃん晶ちゃんを本の中に送った後、桃果とプリンチュが柵にもたれかかった時は吹き抜けの上の方まで沢山の三角標が続いていました。



もしかしたらあの三角標達は主要キャラクター以外の運命の乗り換えが必要なこども達の数で、桃果は全員を救ってあげようとしているって事!?となりました。

プリンチュに取り憑いた眞悧先生が「運命のこども達は君達だけじゃない」的な事言っていたのは、前編のチャプターの5人だけじゃなくて、後編のチャプターのゆりさんと多蕗先生もだよって意味だと解釈しましたが、「この世界では誰もが呪いを受けているんだ」的な事も言っていたのでもしかしたらこの世界のすべての人間!?となってしまいました。

もしかしたらが多いですね、蟹の鳴き声でしょうか。



上で桃果は成長した大人の姿で10年前の冠ちゃんと晶ちゃんを見守って救済したのではと書きましたが、じゃあ桃果は?となってしまって。桃果だって理不尽に命を奪われたこどものひとりなのに。

それなのに、私の「もしかしたら」が正しければ世界中の呪われたこどもたち、呪われたまま大人になった元こどもたちも救わなきゃいけないなんてとなってしまいました。いや全部私の妄想なのですが。

桃果がTV版の神格化された印象のままだったらこんな事思わなかったかもと思いました。


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ちょっと思った以上に長くなってしまいましたが最後にもう一個、7人の運命の子たちの「愛してる」のシーンについて。

みんながすぐ駆け寄っていくのに苹果ちゃんだけ立ち止まってるのがどうしても気になっていて、何回目かの鑑賞で「多蕗先生の所に行くか迷って立ち止まって晶ちゃんの所に行ったのでは」的な事に思い至って興奮してTwitterで呟いちゃったのですが、確認したら冠ちゃん寄りの陽毬の後ろでした。お詫びして訂正致します。ごめんね!

多蕗先生のところに行くか迷って冠ちゃん晶ちゃん陽毬の所に行ったのかなという解釈に落ち着きました。

ちなみに迷いなく冠ちゃんのところに向かう真砂子が好きです。





正直なぜここでこのシーンなのか、なぜみんながこども姿になっているのかはまだわからないです。

でもあの「愛してる」は結構明確に我々観客へ言っているんだなと確信に近いくらい思ってしまったのですがどうなのでしょう。

この「愛してる」の時お口がちゃんとその形に動いてるんですよ。リップシンクというものらしいです。

私手描きアニメ作った時にちょこっとだけやった事あるのでそこにすごく目がいっちゃって。

実写パートが入っている理由は「ピンドラの世界と我々観客の世界の距離を近づける・繋げる為」みたいな事だとどこかのインタビューで読んだのですが、このリップシンクも我々の現実に近づける為なのではと思いました。

元のシーンは晶ちゃんと陽毬が幼き自分たちを眺める主観カットで、これは逆に我々観客側をピンドラに近づける効果があるのではと。

わざわざピンドラの世界と我々観客の世界をより近づけて・繋げて、まっすぐ此方を見て言うなんて我々に言ってるとしか思えない!コンサートで目が合ったと喜ぶヲタクのようですね。

最後に水族館で目覚めた冠ちゃんの足元に半分になった林檎が落ちているんですよね。あれはシンプルに晶ちゃんと陽毬が冠ちゃんに返した林檎かなとも思ったのですが、もしかして『劇場版輪るピングドラム』が我々観客に林檎を半分あげたよ、つまり愛を輪したよの意味もあるのかしらと。これは結構深読みの勘違いっぽいですが…



『輪るピングドラム』は愛を輪す物語で、その劇場版が我々観客に愛を輪してくださったという事はつまり…と私なりに考えて観葉植物にお水をあげました。

ここで「みんなもピンドラみたいに誰かに愛を輪そうぜ!」みたいな直接的なメッセージじゃないところが、好きなところでもあるなあと思いました。


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すごく長々と書いてしまいましたが、4月の前編公開からずっとピンドラの事沢山考えちゃってその考えた事で頭がいっぱいになっちゃったのでちょっと頭の中を整理してお掃除出来たかと思います。

なのでこの文章は私から排出された思考を再利用したもの、つまりこれもひとつのREcycleでございますね!



兎にも角にも劇場版輪るピングドラム『RE:cycle of the PENGUINDRUM』を観る事が出来て本当に良かったです、作品に関わった全てのひとにありがとうございます!

あとここまで読んでくださった方もすごく優しいのか根気強いのか物好きなのかはわかりませんがありがとうございます!